みなさん、最近新しいことにチャレンジしてますか?
一度きりの人生・・・自分に満足して楽しんでいますか?
今回インタビューをしたのは、ちょっと変わった視点から健康へのアプローチに取り組む看護師の男性です。
順調とはいえない人生の中・・・たくさんの失敗や挫折を経験し、ときに立ち止まりながらも新しいことにチャレンジし続ける彼は、さながら旅人のよう。
今回はそんな、雨にも負けず風にも負けず・・・人生の逆風にも立ち向かっていく一人の男性の生き様をご紹介します!
リアルにちょっと吹雪いてない?!
目次
人生を面白く楽しく!旅するように生きるナースマン山賀雄介さん
心まで白くぅ~
染~められたならぁ~
あぁぁ~~~♪
じゃなくて、ちょっとぉぉぉぉぉ!!!!!
あぁぁぁ~~~~~っ、もう何コレ!!!!!
取材の日ほとんど晴れなんですけどw
がーすけ雨男?!
寒いッ!
せっかくの取材なのに・・・くぅぅぅ~~~
今回紹介するのは、看護師・保健師の山賀雄介さん(通称:がーすけ)。
がーすけは病院で看護師として働いたあと、デイサービスの立ち上げや地域包括支援センターなど在宅・地域医療の分野へ。現在は訪問看護師として働きながら、様々な医療・看護・介護福祉の活動に企画・参加、さらにホテルマンとしても働いています。
他の活動は分かるけど・・・ホテルマンって???
とりあえず・・・寒いw
せっかくなので、このままインタビュー続行でw
散りばめられた人生のパズル!遠回りの日々の中で集めるピース、つながってく点と点
さて・・・何から話せばいいものやら・・・。
(ツッコミは多めだけどw)
人の話を聞くのは好きなんだけど・・・自分のことを話すのって慣れてないかも。
これまで取材した方の中では、際立って口数が少なかったがーすけ。ポツリポツリと記憶を辿りながら自身の人生を語ってくれました。
「スポーツ」「医療」「福祉」「分け隔てない人とのつながり」「移動する生活」今につながる少年時代からのヒント
転校生でイキがってたから、ガキ大将と毎日取っ組み合いのケンカとかしてましたw
その小学校では普通の学級と障害児の学級を同じ校内でやってて、そういう子たちとも当たり前に関われる環境があったんですよね。外で遊ぶのが好きだったので、色んな子と分け隔てなく遊んでました!
毎日遅くまで遊びすぎて、小学生なのに何度も家から締め出されました・・・w
そういう自然な交流、いいよね~
その頃から福祉分野に興味はあった?
でも俺自身も、膝の状態が良くなくて自由に外で遊べない時期があったんですよね。
身体動かすのが好きなので辛かったです・・・。
多感な小学生時代に、障がいのある子供とも自然と交流する環境で育ったがーすけ。
スポーツ好きのわんぱく少年は、年頃の子供らしく遊びに夢中な日々を過ごしていました。そんな中、自らも”分裂膝蓋骨(二分膝蓋骨)”という膝の皿が分裂してしまう障害を抱え、生活を制限されてしまいます。
ご両親の仕事の関係で小学校時代に東京から大阪へ、その後再び東京へと戻ってきたがーすけ。
中学校では”まっすぐな動き・負荷で膝の保護と強化になる”との理由で陸上部に入部、中学校高校と陸上に打ち込みます。
で、理学療法士を考えて・・・でもリハビリ職だと「医師の指示のもと」が前提。
それなら何でもできる医者を目指すのがいいのかな?って色々考えてて・・・。
そこから看護師に興味を持ったきっかけは?
祖父の入院先の看護師さんたちがすごくいい人たちで・・・「あぁ、こんな仕事もあるんだ」って思いました。
今は医者への捉え方が変わりましたけど、子供の頃の俺は“医者は人生の選択権を握っている””人の上に立つ仕事”というイメージを持っていて・・・
それに比べて看護師は“人の人生を総合的にサポート””相手の目線で寄り添う”という感じがしたんですよね。自分にはそういう形が合ってるかなって・・・。
そうやって看護を選んだのかぁ~
あと当時、高校の先輩で北島康介選手や大前祐介選手が世界で大活躍してて・・・「いつかは世界に出て活躍できる仕事がしたいな~」なんて考えたりして。
あちこち興味が出て、考えた結果浪人をして・・・結局、看護大学に入学しました。
言葉を探し選びながら、ゆっくりと話してくれるがーすけ。
徐々に口数が増え、ぱらぱらとパズルのピースを埋めるように自分のルーツを探す旅へ・・・少しずつ自分の記憶、心の世界を掘り起こしていきます。
大学8年間の長い寄り道!今もつながる縁に支えられながら登る大人の階段
看護学校で男っているだけで目立つのに欠席が多かったから、やる気がない奴ってイメージつけられちゃって・・・。
女子が休むのと男子が休むのとでは注目度が違うwww
あれっ、しかもがーすけ男子校出身って言ってなかったっけ?
気づいたら完全に”要注意人物”になっててwww
そんなんで欠席はするし、先生にマークされてるしで・・・単位が足りなくて留年して・・・。
中学高校と男子校に通い陸上に明け暮れていたというがーすけは高校卒業後、山梨県にある看護大学に入学。
住み慣れた東京を離れ、山梨での新生活。男子校から女の世界という大きな環境の変化。
幼少期から突発的な偏頭痛に悩まされていたがーすけは思うように学校に通うことができず、不真面目な劣等生のレッテルを貼られてしまいます。
学校に医学科と看護学科があって、他の部員はみんな医学科だったけど・・・そこに入ったことがすごくいい縁になって、メッチャ救われました!!!
大学を辞めずに乗り越えられたのは、その交流・縁があったおかげだと思います。
看護学科で入部したのは俺が史上初だったんですけど・・・俺のあとに毎年、新入部員が入るようになりました!今も大学OBで活動に参加したり、関係が続いています!
なんかがーすけって、ちょっと変わったこと好きだよね?
俺、「当たり前を疑え」って視点を常に持っていて・・・昔から普通じゃないことに挑戦するのが好きなんですよ~
そんなこんなで大学卒業には8年かかっちゃったんですけどねww
ギリギリぃ~~~www
順調に進めない大学生活の中でも自分なりに視野や行動範囲を広げ、自分にとっての居場所や周りの人との信頼関係を築き上げていったがーすけ。人より長い道のりを経て少しずつ大人の階段を上り・・・8年かけて看護大学を卒業します。
屋内入りますかw
辛かった~w
縁に導かれ拓けていく世界!”当たり前”だった環境を飛び出し、巡り合いの中でみつける人生の旅路
(「うまく話せないから」とメモに書きながら話す内容を整理していくがーすけ。穏やかな眼差しから、普段の優しい看護師としての表情がうかがえます)
なのでICUで働く気だったし、救急系がいいなって思ってたら・・・
配属先がまさかの整形外科www
けっこうショックだったな・・・。
ICUとか外科系行きたかったのに・・・整形外科だった!
「そっちの外科じゃねぇよwww」ってかなりやさぐれた記憶がw
なんで配属希望ってあぁも覆されるんだろうwww
逆に、ゆったりした科を希望した人がICUとかハードな科に行くことも多いし・・・
配属希望の意味がないくらい、希望とかけ離れた部署に配属される
(各病院のさじ加減による)
今、訪問看護でもその知識・経験がすごく活きていて。
ただ、そこの職場は人間関係が難しくて・・・踏ん張ってみたけど、疲れきって辞めちゃいました。
思えば人生が拓けてきたのはそのあたりからかも・・・。
看護業界では“新卒後、まずは急性期病院で3年”という定説が根付いています。
卒業後、看護師として大学病院へ就職したものの、希望とかけ離れた科に配属されたがーすけ。元々好きな領域ではあったため知識や技術は高まったものの・・・人間関係で疲弊し、”まずは3年間”を戦い抜いたのちに病院を退職します。
看護師の退職理由で常に上位に挙がっている“人間関係”。
人手不足による医療現場の慢性的な忙しさ。看護師の業務は、医療に関わることから、患者さんのナースコールや電話対応、ときには掃除や洗濯・買い物のサポートまで・・・非常に多岐にわたります。
緊急を要する業務と雑務が混在するなかで疲弊していくうち、人間関係が悪化し、人が辞め、さらに忙しくミスの起こりやすい環境に・・・。看護師の職場における“人間関係の悩み”はその“環境によって引き起こされている”とも考えられます。
「何か面白いことをみつけよう」って色んな交流の場に出向いて、新しい人間関係に飛び込んで・・・
そんな中で、知人に誘われてデイサービスの立ち上げに携わって・・・
それをやってたら、今度は“包括”の仕事と“訪問看護”で声をかけられて・・・
介護の手前の段階(包括)と実際の介護者への援助(訪問看護)を同時に経験できて、すごく学べたし視野が広がりましたね!
“何でもいいからやってみる”ってすごく大事~~~!
パラレルキャリア
パラレル(parallel)は『平行』や『並列』という意味を持つため、パラレルキャリアは『複数の経歴を平行して磨く』というように解釈できます。
提唱したP.F.ドラッカー氏はこのパラレルキャリアについて『本業を持ちながら、第二の活動をすること』という風にまとめています。
第二の活動の定義は緩く、ボランティア活動など非営利団体への参加や別企業への就職、自営業の開始など幅広い活動を総括しています。
また、いずれか1つの仕事だけを本業とするのではなく、全ての仕事に対して本業と同じ気持ちで向き合う姿勢のことを『複業』と表現することもあります。
病院退職後、新しいことにも積極的にチャレンジしていったがーすけ。
進む方向性を模索していく中で、「デイサービス」「地域包括支援センター(通称”包括”)」「訪問看護ステーション」という地域支援や在宅医療・介護の領域に導かれていきます。
その頃からがーすけは、常に二つ以上の仕事や活動を並行する生活を送るようになっていきます。
だから色んな仕事を並行してやるようになってから、世界が一気に広がって自分の可能性に出会えたんだよね~!
がーすけも・・・一つの仕事や環境にいるより、色んなことを同時にやっていく方が力がついて成長するタイプなんじゃない?
旅人みたいな生活が似合いそうwww
色々やってみたからこそ、自分の方向性が見えてきたと思います!
人よりたくさん挫折や失敗をしてきた自信はあるし、これからもどんどん新しいことをやっていきたいですw
探し続けてきたから見つかったんだろうね~~
“何もない”と思っても、動けば道は拓けていく!
働き方が多様化している現代、一つのことに打ち込むのに向いている人もいれば、複数のことを同時にやることで経験を併せて成長していく人もいます。
それはどちらが良い、悪いということではありません。
一昔前までは“二足のわらじ”でさえも批判的な目でみられやすい時代でしたが、近年は“一つの仕事や場所に限局せず、自分に合った働き方や暮らしを選択する”という新しい時代が到来しています。
看護業界で“当たり前”といわれる世界を手放したことで、自分の適性や可能性に気づけたがーすけ。
これからの時代に大切なことは、いかに”自分に合った道を見つけられるか”、”探すための行動を起こせるか”・・・そしていかに”多種多様な生き方を受容し、他者と比較せずに自分らしく生きられるか”ではないでしょうか?
楽しみながら健康に!長い人生の旅の途中でみつけた自分らしい社会貢献の道が照らす、明るい未来の地図
(がーすけの大切な仲間のお店<ソーセージとワインの小さなライブキッチン『mosh kitchen』@東京・新宿>にて)
現在、がーすけは【訪問看護リハビリステーションかざぐるま・鶴見】で訪問看護師として働く一方、“地域と交流し、文化や伝統を体感できる”という新感覚のホテル【WIRED HOTEL】でホテルマンとしても働いています。
さらに、仲間と共に“おもしろく楽しい活動の中で気づけば心身ともに健康に”をコンセプトにした【おしゃい】、看護師で結成されたメンバーによる【ナース酒場】【ナース運動会】など様々な企画・活動を起こし続けています!
続けられなきゃ意味がないけど、“続けたい”と思える動機や習慣付けができないんですよね。
だから思わずやりたくなる“面白いこと”から”気づけば健康”になれるような仕掛けを生み出していきたいなって。
あとやっぱり、一人じゃ続かないからつながりが大事!!!
生活習慣病の指導って上から与えられるって感じで、受身になりがち。
一見“不真面目”で“普通じゃない”ことをやるのは・・・”やりたい!”ってその人が主体的に行動することにつなげたいからなんだね~
介護が必要になった親を施設に預けたっきり、全然面会に来ない家族とか・・・いるじゃないですか。
でも、それも環境やきっかけがあれば変わるんじゃないかなって。
だから、山奥・郊外の施設の周りにアミューズメント施設やホテルを作って「旅行も兼ねて、思わず会いに行きたくなる場所」を作りたいと思ってるんですよね!
全部つながってるんだね~~~!
去年はそれで、”畑の中でファッションショーをしながら姿勢教育“っていうイベントを企画したんすけど・・・台風でまさかの中止w
雨男なんじゃない?!
ほんとにwww
「与えられる医療」から「楽しめる健康づくり」へ。
「模範的な生き方を目指す」社会から、「自分に合った生き方を探し選ぶ」社会へ・・・。
働き方も健康づくりも、人間関係も・・・いま、生き方は「自分が何を選ぶか」に委ねられる時代に変容してきています。
長い人生の旅の中で、自分の居場所や仲間、役割や目的にたどり着いたがーすけ。それは行動を起こし続けてきたからこそ生まれた、自分らしいオンリーワンの人生。
“人生楽しんだもん勝ち”・・・壁にぶつかっても立ち止まることなく、失敗を恐れずに自分の人生を突き進んでいくナースマン・がーすけ。
わたしはそんながーすけの健康と幸せを応援していきます!
あなたの健康と幸せを願っています!
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あ~ぁ~