信頼し解放される愛の形。ポリアモリーは所有しない複数愛のあり方

マイマイ
複数の人を同時に好きになったことは・・・ありますか?

 

皆さんは【ポリアモリー】という言葉を知っていますか?

ポリアモリーは「複数の人と合意の上で性愛関係を築く」という概念・関係性。

 

「えっ・・・なんか衝撃的!」

「一夫多妻制?!ハーレム?!」

今回は、いまいちピンと来ない【ポリアモリー】を紐解きながら・・・わたくし・マイマイのカミングアウトをお届けしたいと思います!

 

マイマイ
嫌われる覚悟は・・・できています。

 

「オープンで全員が幸せ」複数の人との恋愛関係を築く【ポリアモリー】というあり方

 

ポリアモリー(英: polyamory)とは、ノンモノガミー(排他的な一夫一妻制ではない関係)の一種。関係者全員の合意に基づき、多重的な性愛関係やロマンチックな関係を営むライフスタイル、また その関係性のことである。

wikipediaより引用)

 

ポリアモリーは日本語に訳すと「多重恋愛」のことであり、同時に複数の相手と恋愛関係を持つことを言います。

Rainbow Lifeより引用)

 

ポリアモリーは、“関係者全員の同意のもと同時に複数の人と恋愛関係を持つライフスタイル・関係性”のことを言います。

浮気や不倫のほとんどは、関係者の合意に基づいていない関係性。

ポリアモリーは、“当事者全員”が関係性を知ったうえで成立する関係性です。

 

わたしのこのブログ【ミライナース】では「健康」「幸せ」をテーマに人の人生を紹介する中で、ずっと個人・社会の「多様性」「選択性」をお伝えしてきました。

 

そして今回なぜ”ポリアモリー”について書いたのかというと・・・わたし自身がポリアモリーだということに気づいたからです。

 

この概念を32歳の今になるまで知らず、複数の人を同時に好きになることが多い自分にずっと悩んできました。

わたし自身の話をしながら、この”ポリアモリー”という概念・あり方をお伝えできればと思います。

 

なぜ「どっちも好き」ではいけないのか。なぜ「どっちとも幸せになる」という選択肢がないのか

 

わたしは16歳で初めて彼氏ができてから16年間、ほぼ常にパートナーがいました。

 

それは、「恋人と別れてもすぐに次の恋人ができる」ということではなく、

恋人がいる間に新たに好きな人ができて「どちらかを選ぶ」ということを繰り返していたからです。

 

「なぜ、両方好きでいてはいけないんだろう」

「なぜ、どちらかを選び手放さなければならないんだろう」

 

男性から告白されたり、同時に二人の人を好きになってしまうたびに、そんな自分を責めていました。

 

それでも「一緒にいたい」「会いたい」「隣にいたい」と強い気持ちを抱く異性が同時に二人以上になることが人生で何度もありました。

 

その結果として、深い関係にもなる。時期も重なる。ただわたしの場合、感情と性欲があまり一致しないので、愛情は精神性に求めることが多かったです。

性欲は一応あるけど、セックスはしてもしなくてもよい。

 

そして、そんなふうに人を好きになるたびに「浮気性」「移り気」と自分で自分を責め、悩み続けていました。

 

なぜ、パートナーシップ”だけ”は一人でなければならないの?優劣をつけなければならないことが理解できない

 

お子さんが二人以上いて、どっちが好きか”選ばなければならない”ということはないですよね?

結婚をしても、大好きな友人や仲間には会いますよね?

父親と母親、どちらも大好きならどっちが一番か、簡単には選べないですよね?

働き方も多様化してきて、複業やパラレルキャリアが当たり前になってきている・・・。

 

なのにどうして、パートナーだけは”一人限定”なんだろうか。

“恋愛関係””パートナー”と言っても・・・わたしの人への”好き”はひとつひとつ違うものでした。

 

ただ人として好きな異性ができたとき、相手もそれを望んでくれたとき、その関係が深まっていく。

それが”自分にとって”のパートナーシップ。ひとりでもなく、ひとつでもない。

 

出会った時期が重ならないなら一人、同時に起これば複数になる。

「どちらがより好きか」ではなく「どちらも100%」ではいけないんだろうか。

 

それは持ってはいけない感情なのか?ずっと悩んでいました。

 

「愛は所有ではない」他の人を愛していてもいい。”その人自身”が好きだから

 

ポリアモリーを正当化するつもりも、浮気や不倫を推奨するつもりもありません。

ー対ーの恋愛関係と比較して、どっちがいい・悪いというつもりもありません。

ただ、どうしてもわたしが伝えたいのは「パートナーは自分を満たすツールではない」ということ。

どんな恋愛スタイルでも関係性でもいいんです。

 

ポリアモリーは当事者同士の同意に基づくオープンな関係。

自分が複数愛者であると同時に、相手の複数愛も受容するものです。

「私はいいけど、あなたはダメ!あなたは私のもの!」と相手を縛ることがありません。

 

 

パートナーへの不満を漏らしながらお付き合いをしていたり、

「自分だけを見て」と過剰にパートナーを束縛したり、

「結婚さえすれば大丈夫」とパートナーを大切にしていなかったり、

「寂しいから」と別の人を欲求のはけ口にしたり・・・

 

“自己を承認・受容してもらうために他者を求める”というパートナーシップが周りには多い。

わたしはずっとそう感じていました。

 

そういう人って、自分自身が満たされていないんです。

 

「自分で自分を満たせていないから、他人に与えてもらおうとしている」

そういう方が“所有”を愛だと言っているのがすごく嫌でした。

 

浮気・不倫と呼ばれる関係の多くは、パートナーでは満たされない何かを別のパートナーに埋めてもらうもの。

そして隠して関係を持ち、罪悪感を抱き、必ず誰かを傷つけてしまう。

 

わたしは性別・立場に関係なく、好きな人は好き。会いたい人に会いたい。

 

もしパートナーに他に好きな人がいたとしても、わたしのことを一人の女性として好きでいてくれればいい。

その人自身が幸せなら、それでいい。

それでも、できれば一緒に過ごしたい。

自分といることで幸せを感じてくれたら嬉しい。

相手を所有することに依存せず、幸せを願い、寄り添い支え合う。

 

ポリアモリーであっても、そうではない人であっても、

「その人自身」「当事者同士」が幸せかどうかが一番大切だと、わたしは思っています。

 

 

考え続けること15年以上。悩み続けていた自分の想いを夫にカミングアウト

 

わたしにはもうすぐ結婚して7年、付き合ってから10年になる夫がいます。

 

夫はポリアモリーの対極にいる、モノアモリー。

一度に一人の異性としか関係を持たない考えの人です。

 

夫は10年間優しく、常に変わらず、誠実に愛情を注いでくれている人です。

わたしは、夫のことが大好きです。

 

だから、死ぬほど苦しかった。

 

「お似合いだね」「仲良しだね」「いい旦那さんだね」

 

夫のことは好き。

でも、自然と好きな人はできる。

 

「不倫は罪」「なんで好きになっちゃうんだろう」と罪悪感でいっぱいになり、

告白されてしまうと混乱してしまったり、相手を離れさせるためにめちゃくちゃ嫌な奴になったりしました。

 

「好きで、ただ会いたくて、同じ時間を過ごしたい」

「だけどそう思うわたしは、きっと頭がおかしい」

シンプルな自分の想いに制限をかけ、相手を傷つけ、夫に何も言えずに勝手に一人で傷つき、ずっと自分を責めていました。

 

わたしは、夫にはいつも感謝と愛を伝えてきました。そして同時に、

 

「あなたに好きな人ができてその人と一緒になりたいなら、喜んで離婚する」

「もう一人彼女ができたら、一緒に住んでもいいよ」

「彼女に子供ができたら一緒に子育てもする」

 

とたびたび伝えていました。

 

わたしは夫を100%全力で愛しているので、これ以上出すものがないんです。

「明日死別しても、離婚になっても後悔はしない」と覚悟しています。

だから敵わない女性が現れたら、戦う理由がない

むしろ、新しいパートナーとも仲良くしたい

 

でも、夫に嫌われるのは怖かった。

ポリアモリーという概念も、この記事を書く数日前まで知らなかった。

だから、周りの人に「全員が幸せなら、複数恋愛はOKだと思う」と言い、

夫には「あなたは恋愛をしてもOKだよ」と言いながら、

自分の心の内を出すことをためらっていました。

 

夫のことを愛している。一緒にいたい。

きっとこの自分の考えは、受け入れてもらえないに違いない。

でも、自分をねじ曲げて一緒にいるのも嫌だ。

 

そう思い、

「あなたのことはずっと好きだけど、ほかの人も好きになるし、その人ともできれば会いたい」

と正直に夫に伝えました。

 

夫は、わたしという存在を受け入れてこれからも一緒に生活していくと言ってくれました。

 

現在、わたしには夫以外のパートナーはいません。

 

今後どう変化していくかは分かりませんが、

ずっと重く苦しく抱えていた荷物をやっと下ろすことができて、

やっと堂々と「自分らしい人生」を生きていけるような気がします。

 

愛の形は十人十色。他者に身も心も解放できる社会になっていってほしい

 

「思考や行動に鍵をかけて縛る権利は、誰にもない」

わたしは、ブログやSNSを通して「多様性」「選択性」を発信する中でそんなことを常にお伝えしています。

 

わたしがポリアモリーを告白することで伝えたかったことが二つあります。

 

ひとつは、

「愛は人を所有する権利ではない」

ということ。

 

「自分を信じ、認める」

「自分の存在価値は、自分で証明する」

 

それができずに、「結婚すれば幸せになれるはず」と恋愛・結婚という「枠組み」に幸せにしてもらおうとしている方、承認を求めて相手を縛り付ける方に「こんな関係性もあるよ」ということを伝えたかったからです。

 

 

そしてもうひとつは、夫への愛情です。

わたしは結婚しているので、この先わたしに他のパートナーができたとき、裁判にかけられたら絶対に負けます。

夫が傷ついてわたしを手離すときに、言い訳をしたくない。

堂々と負けて、夫が望む責任を負うつもりでいます。

 

 

たとえば大切にされなくて苦しいモノアモリーの愛と、

全員が満たされているポリアモリー同士、どちらが幸せですか?

どちらが正解ということもない、とわたしは思います。

 

それぞれの人が「自分自身」を満たせていること。

相手との関係に満たされていること。

 

そうやって幸せに過ごせていれば、周りの人がモノアモリーだろうとポリアモリーだろうと、その人たちの選択として受容できるはずです。

 

大事なのは、一人ひとりが幸せであること。

一対一、一対多、多対多・・・愛の形は人それぞれ。

 

生き方、働き方、パートナーシップのあり方・・・。

時代が変化し、多様性が認められるようになってきた現代。これからの未来がもっと、個人の選択が受容される社会になっていくことをわたしは願っています。

 

 

 

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